2007-01-01から1年間の記事一覧

整合的であること

「現実」とはそれだけで完全なる「整合性」である。 人の「認識」「概念」そして「人の思い」が「現実」に不合理・不整合をもたらす。 そして人は概念的な生き物である。

またかよ

久間防衛相「原爆投下しょうがない」 いい加減この種の発言問題にコメントするのも嫌になるが無視もできないので・・・少しだけ。 「アメリカを恨まず」は(アメリカに限らず、過去に敵対した全ての対象に対して)そうあったほうがいいとは思う。 でも「原爆…

もう一度腐す

社保庁法が成立した。 強行採決に「ああ、またか」と慣らされていく自分が怖い。 でも、これまでこの政権下で成立した法案はいずれもその具体性を欠いていて肝心な部分が皆先送りされている。 これから先、その具体的部分に取り組めば問題点がぼろぼろ露見し…

今の「私の主観」

嫌悪感に鞭打って、総理について少しだけ擁護してみる。 以前「未納三兄弟」「菅代表の自爆」が話題になった頃、本館のエントリーで「菅代表、閣僚の首どちらも要らぬ」 や、コレも本家の「私の主観」というエントリー(こちらは散漫に書いてあるので年金の記…

つまみ食い

「美しい国へ」や「所信表明演説」をはじめ、さまざまな首相のコメントもそうなのだけど、多面的な側面を持つ事象に対してそれを言葉にするときに露骨に「本人にとって都合の良い側面」だけを、当たり前のように、それがその事象の全体であるかのように(し…

少しは自分の頭で考えたら

国会での質疑などでは、官僚の用意した原稿を棒読みしている姿や官僚にいちいち確認する姿を眼にする。 できれば、政治のプロとしてもっと勉強して、自分の言葉で語ってもらいたいものだが、本音を言えばコレだけ様々な事が複雑になってくると全てを把握する…

自民党内での責任論

会期延長に伴って、自民党内で参議院選挙で負けた場合の責任論が浮上しているらしい。 ここにもまた、別の「責任」が出てくる。 「総理の決断に判断を「委ねる」が、その結果に対しては総理に(その責任を)とってもらいますよ」 といった選挙に関する与党(自公)…

(追記)上の「国民に対する責任」の責任とは

この前「なにか変わった?」というエントリーで書いた「政権パンフレット」に「あきれた社会保険庁の実態」というのがあるのだけれど(まだ消さずに残してたんだねコレ)、これを取り上げたblog(パンフをパロディにしたdr_stoneflyさんのエントリー)があっ…

何から何まで強行採決

賛成も反対もすべて、党派の数で決まる。 それぞれに影響しあうことも、修正が行われることも無い。 何の偶然性も無く、何の期待性も無く。 それが、最近の強行採決の特徴だ。 党派の内部に異論があっても、それが表にでてこない。 内部の空気が外部とのコミ…

「美しい国」と「憲法」_3

実は憲法(九条など)で謳っている事は、私にとっては「美しい日本」そのものである。 私が安倍総理の「美しい日本」を原理的で混乱を生むとして否定するように、これ(現憲法)は政策を前提として具体的・明示的に示そうとすれば,たとえ多くの人がそれ(平和や不戦…

「美しい国」と「憲法」_2

私は、憲法が現実的でないということで改憲する事には反対の立場である。 憲法は目指すべき理念であっていいと思う。 様々な現実に直面し、その時々の選択にその方向性(ベクトル)が影響として生かされればいいと思う。 かといって、「生存」と言うレイヤーと「…

「美しい国」と「憲法」_1

安倍首相の「美しい国」に関する政策は、具体的に提示されればされるほど、その弊害も具体的になりそれが広く知られるにしたがって色あせていくように感じる。 観念的な「美しさ」と言うものが「既に」多様になっている「現実」の中でシステムとして規定する…

「美しい国」と「憲法」_0

最近、年金問題やコムスンなどの陰に隠れて憲法改正論議がフェードアウトしてきているようだ。 自民党も参院選では「憲法」を前面には出さない戦略らしい。 それも大事な問題かもしれないが、前回の「郵政民営化」の轍を踏みたくも無い。 安倍政権が存続すれば…

その3

おそらく、これらの組織や党派の中において、この「合理的な責任回避」をした人々は当時「勝ち組」であり、それになじまなかった人は「負け組」の道を歩くことになったであろう。 おそらく、これらの組織や党派の中において「空気」を読んでそれに従った人は…

その2

年金問題は過去の「経緯」を負っている。 その経緯とは、これに関わった個人・党派の「切実」さがもたらす「合理的な責任回避」による、「先送り」の積み上げ等だ。 2004年に年金がクローズアップされたときに、問題の本質を煙に巻いて強引にその場しのぎ的…

その1

年金問題に関しての国会答弁を見ていると首相や厚生労働大臣の心情が手に取るように伝わってくる。 「今しなければいけない事に四苦八苦しているのに、いま経緯を持ち出しても解決にはつながらないだろう。」 「まだ、実態も掴めないのに今後のことを明言す…

なにか変わった?

つい先ごろ出された自民党の政策パンフレットhttp://www.jimin.jp/jimin/kouyaku/pamphlet/index.htmlを見たけど、「特異な"部分"で"全体"を語る」ところ、情緒に訴えるところなどは「美しい国へ」という本そのものだなぁ。 支持率は上下するけど、少なくと…

「国」は責任を取らない。

年金問題のような問題は起きてしまうと正常な状態への「原状回復」は難しいだろうと思う。 仮に理屈として「消えた年金」を調べる方法が見つかっても、現実的にはそこに労力と経費をつぎ込まねばその理屈を現実化することもできそうもない。 耐震偽装のとき…

情と理、私と公

松岡農相の「疑惑」のニュースには注目していたけれど、このような悲劇を迎えるとは思わなかった。 ご冥福をお祈りいたします。 今後、亡くなった故人への追求や非難はし難くなるだろうなぁ。 情の部分と理の部分、 私の部分と公の部分、 が対立してしまうの…

民族意識と個人(memo)

バージニア工科大学での銃乱射事件に関連したニュースを見ていると、犯人が韓国国籍を有していた事が大きな話題になっているようだったのでweb上の中央日報、朝鮮日報、東亜日報あたりを眺めてみた。 それを見ると、韓国社会は「対韓感情の悪化」「海外在住…

やり場の無い怒り・悲しみ

アメリカのバージニア工科大学で起きた銃乱射事件のニュースを見ていた。 画像に登場する人達のやり場のない怒り、悲しみがそこにある。 でも、この事件を引起したもっとも非難されるべき犯人はもうそこにはいない。 どこに、その怒りをぶつけたらいいのか。…

背後から撃つ者と背後に隠れる者

長崎市長銃撃事件また、嫌な事件が起きた。 この事件、 石井紘基衆院議員の刺殺を思い出す。 加藤紘一議員の自宅放火事件も頭をよぎる。 大きな「背後」を予期させる何かが見え隠れする中で、個人的な「ささいな」弱すぎる「動機」に矮小化され闇に消えてい…

fairである事

私はfairnessという言葉が今でも好きだ。 しかし、私自身がそうであるという事は永久にありえないと思っている。 それは、そちらを向いて生きていきたいということであり、寄り道をしても、そちらの方向を見失いたくはないというベクトルの表明でしかない。 …

埼玉県知事の発言

この記事はココログのメンテが終了したようなのでそちらに移動しました。

非を争う競争原理

「お前らだって・・・」 っていうのは 「お前の言うことは違うよ」 とは違う。 大体前者の文脈は 「お前の言っていることは正しいのかもしれないけど正しくないのは俺だけじゃないだろう。」 って感じで 「非」への「許容度」に対して「不公平」を表明してい…

謙虚の物語

最初、何も知らなかった人は世界のすべてを知っていた。(知らない事はなかった) でも、何かを知った人は、より世界を知らなくなる。(もちろん知っている事は増えるが・・・) つまり「知る事」により,「知らない事」は減じない。 それを避けようとして知らな…

発展とか進歩とかグローバル化とか

発展とか進歩も「不可逆」的に進んでいくように感じられる。 個々の人には限界があるけれども「人」は続いていく。 滅亡でもしない限り生みだされたものをその記憶から都合よく消し去る事ができない。 たとえ、その生み出されたものが人にとって不都合なもの…

意識させられる事

それまで意識もしなかった概念に出会ってしまう事は時に困った事だなと思う事がある。 その概念に付きまとわれると言ったらいいだろうか。 その概念を知った事で、したくなくともそれを「意識」させられる。 たとえば、もともと全く何の偏見も持ち合わせてい…

脈絡も無く・・・ふと

旅行は好きなので、色々なところに行った。 自然のあるところが好きだ。 でも、その自然の中にいても、大抵はその自然の中でその風景とは違う何かを考えていたり、感じていたり、思っていたりしている。 風景の美しさや凄さなどを目にしながら、それらを通し…

結果としての美しさ

今でも、神戸で起きた震災時のように、多くの人が苦難を共有したとき、それまで「公共」と無縁にすら見えた人でさえもその「公共心」「思いやり」「助け合い」を発揮したりする。 その感性は理屈抜きに日本人の中に宿っていた。 苦難に一区切りがついて概ね平穏が回…