2006-10-01から1ヶ月間の記事一覧

人のない国家

と言う言葉が頭に浮かんだ。 イメージとしては 「概念」だけがあり,そこに人の存在感が無い。 と言ったような感じ。 決まりだけがあり、実体が無いとか 数字だけがあって、実感がないとか 全体性だけがあり、個別性が無いとか マクロだけがあり、ミクロが無…

メディアの衰退

国境無き記者団の「世界報道自由ランキング」が出たようです。 http://www.rsf.org/article.php3?id_article=19388 日本はこのランキングがスタートした2002年以来下がりつづけている。 ロールモデルであるアメリカのそれと同期するように落ちているところを…

奇跡的回復

しばらくこの時間帯のニュースは見なかったのだけど久々にニュース23を見たら福知山線の事故で意識不明の重態から少しずつ回復している女性の話が紹介されていた。 あの悲劇的な事故のしかも2両目に乗っていてという女性は内臓破裂の上、意識不明の重態で病…

信じる

何かを信じずに生きている人などはいないだろうと思う。 どんなに懐疑的な人もその懐疑的なことを維持できるのは何かを信じているからだと思う。ただ「何かを信じている」と公言する人とは違う「何か」を信じているだけ。 「何も信じることはできない」「信…

ある日の公園の風景

この前、休日に近くの公園に行ったのだけれども、家族連れが結構いて遊んでいた。 微笑ましい風景と言いたいところなんだけれども,なんか島宇宙のようだった。 これだけ子供がいるのに、別の家族の子供同士はまるで別の世界で遊んでいるような感じで,家族…

漠然とした不安

倫理規範というのは、身近な切実さや主観から見渡しても、そのスコープ内にその根拠を見出すのは難しい。 世界に私一人が生きているときに倫理規範が意識されるとも思えない。 他が意識されて初めて認識される概念だと思う。 「漠然とした不安」という言葉が…

今が全て

「今を大事にする」ということと「今が全て」という事とは同義ではないと思う。 今と未来が継続しているか、分断されているかの違いがある。 私は前者を現実主義と呼び,後者を現在主義と呼び区別したくなる。 未来はいずれも不定ではあるけれども,前者は予…

「相棒」

最近「切実さ」に拘って書いているけど、行き着くところは単に「情と理」の問題ということになるのかもしれない。 ところで、テレビ朝日系で「相棒」というドラマがあるのだけれどもその2人の主人公「右京」(水谷豊)と「かおるちゃん」(寺脇康文)の関係…

現代に

武士道からイメージされる戦いのような戦争はない。 戦士と戦士が向き合って正々堂々と戦うような戦争はない。 戦争に大儀を見ても戦場に大儀はない。 守るべき物のためにと思いながら本当に守るべき物を守る事もできない。 本当の敵の手先となって、本当の…

切実さの操作

「切実さ」は人の「関心」や「行為」(動機)を大きく左右すると思う。 このことは「関心」をコントロールしたければ「切実さ」を喚起する事が実に有効な手段であるという事を意味すると思う。 世の中には多くの概念のレイヤーが錯綜し、個々夫々がそれら多く…

「切実」と「関心」

中東とアフリカ どちらでより大規模な理不尽が発生しているかを考えれば、アフリカはより悲劇的だと思う。 内戦・争い・暴力の犠牲者を始め、エイズ等の感染・病気による犠牲者、栄養不足による子供の犠牲等様々な理不尽が蔓延していると思う。今を切り取り…