2006-06-01から1ヶ月間の記事一覧

今の「現実的」の本性

「古さ」と「比較的新しい古さ」の間で「比較的新しい古さ」に束縛されつつ「古さ」に郷愁を感じながら、どちらが正しいのかといったり来たり。 それ以外は「現実的」でないと言う。 何故かと問えば、「先例がないから」

〜のようになりたい

アメリカの「よう」になりたくとも、アメリカにならなければ、アメリカの「よう」にはならない。 システムは真似できても、歴史・思想の根本は簡単には真似できない。

「昔は良かった」だけでもない

子供の頃「世の中よくなった」とも大人から聞いていた。 「昔は酷かった。」 とも耳にした。 だから 「昔なんて知るか今は今で大変なんだ。」 なんて私は思っていた。 いつも大人は「昔は良かった」といっていたわけでもない。 「今は便利になった」には特に…

普通にひどい

麻痺できる事 身体的に 精神的に 人は上手くできている ひどくても麻痺がそれを普通に置き換えてしまう。 それが良い様でもあり悪い様でもあり... 「ただそうなっているようだ」と感じただけのことで「真実」でも「是非」でもないが...凄いなと思う。

2度おいしい

昔「一粒で二度おいしい」キャラメルがあった。 私ももっぱらキャラメルといったらそのキャラメルを好んでいた。 結構長く頭に残っているので良いコピーだったのだと思う。これとは全く関係無いのだけれど、今のマスメディア(報道)を見ていてこの「二度おい…

身近なことからアチラ側への飛躍(副題:脳内妄想)

「バッシング」(糾弾)もまた「法を守っているのに何が悪い」の集合の中の一つの要素か?法を破れば「バッシング」は「犯罪」だが、そのような「犯罪」を「バッシング」とはあまり表現しない。「バッシング」は形としては「強制」ではなく圧力(合法的な理不尽…

法やルールの前に倫理は切り捨てられるものか

「法やルールを守っているのに何が悪い」の裏には「法やルール」と「倫理」の対立状態があるのではなかろうか。 倫理は法やルールの素地であるべきでは無かろうか。 倫理観を素地に持たない法やルールとはどんなものであろうか?

人にとっての法

法も最初からそこにあるものではなく、永久に法が変らない訳でもない。 今は法が守られず治安の悪いところであってもかつては法が当然のように守られ治安がよかったところもあるだろう。 逆にかつては法が守られず治安が悪かったところでも、今では法が守ら…

Whyとニンジン

Whyを求めているつもりでも、実際に見つけることができるのはHow。 Howは次から次へと見つかるがWhyに対する答えは見つからない。 馬の前にはニンジンが、人の前にはWhyがぶら下がっている。

偶然があるから...

「知らない」という領域に偶然があるように思う。 偶然のない世界にはもはや「意味」は存在しないのではなかろうか。 知っても知ってもその先には偶然が有る。 厳密に予期できないことが人には必要だ。 偶然があるから人は喜び、悲しみ、許せる。 そうなる事…

我々とか日本人とか

「我々」とカテゴライズされる存在が本当に有るかといえばないのかもしれないし、「日本人」とカテゴライズされる存在が本当に有るのかといえばないのかもしれない。 「私」や「貴方」だって大して変わりはしない。 青い空とか真っ赤な太陽とか言っても実際…

モンシロチョウ

外は雨が降っている。 でも、昼には青空が顔を見せていたのでちょっと時間を見つけて自転車で近くを走っていたら蝶が飛んでいた。 久しぶりに見たので、そのひらひら舞う姿をしばらく見ていた。 別に初めて見るわけでもなく、画像でも見ているはずなのに、じ…

最近の出来事

シンドラー社のエレベーター事故 福井総裁の利殖疑惑 もちろん個別には全く違うレイヤーを抱えてはいるが、いずれも「道義」が問われているように思える。 一口に道義といってもその捉え方は様々だなと色々なブログを見て思った。 シンドラー社のエレベータ…

シンドラー社製のエレベータ事故に思う

結果は悲劇である。 恐らく、私もこれまでにこの「悲劇の可能性」を潜り抜けてきていたのだろうと思う。 何の不安も感じないまま、その機械が正常に機能するものとしてあたりまえのようにそこを通り抜け、たまたま私はその被害に遭わずに高校野球に青春をか…

ジャッジメント

話題のサッカーワールドカップの時期ですが、昨日のオーストラリア戦について書けば「愚痴」しか出てこないと思うので野球の話題を少しばかり。 先日、巨人-ロッテ戦で李選手の本塁打の際、小関選手がサードベースを踏み忘れたというジャッジがあり、勝ち越…