2度おいしい
昔「一粒で二度おいしい」キャラメルがあった。
私ももっぱらキャラメルといったらそのキャラメルを好んでいた。
結構長く頭に残っているので良いコピーだったのだと思う。
これとは全く関係無いのだけれど、今のマスメディア(報道)を見ていてこの「二度おいしい」という言葉をついつい思い浮べてしまう。
意識するから尚更という事もある。
盛り上げて、持ち上げて、時が来ると、叩いて、落として食い繋いでいるように見えてしまったりする。
堀江さんもそうだし,ミキティーもそうだし、サッカー日本代表もそうだし、「悲惨な」事件もそうだし、次は小泉さん、安部さん あたりもそうなりそうな気配。
もともと様々な出来事には(人もそうだが)表もあれば裏もある事など分かりきっていることなのに、殊更に一方を強調してそれを煽っておき、あたかもその後にやっと気がついたかのようにその反動を装い一気に貶める。
最初から分かっているのに・・・
「節操」という「古い概念」はゴミ箱の底。
「おもしろくなければテレビじゃない。」なんてコピーもあったけど(それはそれでいいのだけれど)何が「おもしろい」かといったらこういう事が「おもしろい」だった。
「差」の創造と演出
ドラマ、山あり谷あり、人生色々
報道はエンタテーメント。
その山から谷へのスパンもまた短くなってきた。
そして、すぐに忘れさられる。
コンビニの回転率を上げるような仕方で消費され,残るのは残骸だらけ。
大事にされる事も、意味を付加される事も無く食い散らかされた「多様」と名が貼り付けられた残骸。
コレまできた道を振り返ると、そこには掃除もされずに散乱するゴミだけが放置されているような感じ。