退避勧告

さっき、文化放送を聞いていたら、評論家の方が、外国は日本在留の自国民に対し80km圏内から退避勧告を出したのに対して政府は依然として30km圏内にとどまっている事への矛盾を指摘していた。


「どちらが正しいのか」というのだが


その方の主旨は政府の情報開示の仕方や遅さに対しての批判なので分からなくもないけれど、日本と諸外国と「どちらが正しいのか」という問題提起の仕方は少し前のめりすぎに感じた。


退避といっても、その地に生活の基盤のある人の退避とそうでない人の退避では「退避によるダメージ」は比較にならない。


10%と20%のリスクの差があれば10%を望むのが人だ。
たとえ10%でも大丈夫だという環境でも、0.1%と0.2%といったリスクの違いがあれば0.1%の方が良い。
それが確率に対する人の基本的なスタンスだ。(どんなに確率が低くても、嫌なものは嫌なのだ。)


それ以外のリスクを考慮する必要がなければ誰だって確率の低いほうがいいに決まっている。
諸外国は、「それ以外」を考慮する必要は少ないのだから80kmと言わず国外退避でも基本的にかまわないが日本政府はそうはいかない。
そこに、差ができてしまうこと自体は自然なことで、致し方ない。
それに加えて遠い異国で自国の政府の権限の及ばない地でのことならばなおさらだ。
放射能のレベルに対してここからが安全、ここからが危険というものがあるならば(基準値が本来それなのだろうけど)簡単なのだけどそうではないから難しく、だからこそ原発事故は(システムとしての)社会を容易に不安に陥れて機能不全に陥れるという意味で怖いのだと思うけど・・・


不確定要素を確率で割り切るという自然に対して不遜な方法でしか対応できないのが社会というシステムなのかもしれないが、どこに割り切り点を設定してもその結果は非情だなとは思う。
ただ、同じ確率による割り切りでも「〜圏外はむやみに避難してはいけない」とはなっていないのが僅かながら救い。


諸外国も(人口密度の違いもあるだろうが)自国で災害が起きた時には同様の考慮をすると思う。
他国で災害や治安悪化が起こった時の日本の外務省の退避勧告など見ていればそのような推測が立つ。


もちろん、諸外国が80km圏内としているのに対し、生活の基盤であることを考慮したうえで30km圏内となっている事が妥当かという問題は別の問題としてある。
つまり40kmの方がいいのではないかとか、いや60kmの方がいいだろうとか、移動にリスクのない人は自発的に移動したほうがいいとか・・・
これは情報開示とともに最悪のシナリオを考慮して個々の事情に照らし合わせて今よりももっと突っ込んでした方がいいと思う。
でも、諸外国と政府の勧告が同じでないことを指して「どちらかが間違っている」とするのはピント外れに感じてしまう。


原発で事故など起こることは無いと強弁していたにもかかわらず起こってしまったことへの潜在的な怒りや、悪化していく事態に対して手が出せないという放射線事故特有のイライラや不安がある中で、政府の対応の鈍さはどうしても目立ってしまうし、実際そうだと思うから、改善を願ってその点を指摘するのはいいけれど、それを強調しようとするあまりこのような問題提起の仕方をしてしまうと却って議論を空論化して、本来の必要な議論を難しくしてしまうように思ってしまう。


この方は番組の中で貴重な情報も発信してくださったのでそれに比べれば小さいことかもしれないけど、やはり気になることは気になる。