信じる

何かを信じずに生きている人などはいないだろうと思う。
どんなに懐疑的な人もその懐疑的なことを維持できるのは何かを信じているからだと思う。

ただ「何かを信じている」と公言する人とは違う「何か」を信じているだけ。
「何も信じることはできない」「信じるに価するものは何ひとつ無い」と信じている。
信じることができないという何らかの理窟や概念を信じている。

なぜそのような理窟が妥当なのかという問いにも...やはり確かな根拠は提出されそうに無い。
信じているのでなければ、そうでない可能性を否定などできまい。
どこかで、何らかの形で、何かを信じている。

「信じる」ということは非科学的なのだろうけれど、だからといってそれを拒否する事にもなにやら「おかしさ」が漂う。
「(具体的な)何かを信じる」に対して「(それとは別の)何かを信じる」からそれ拒否することが可能なだけなのではなかろうか?


「確かなことは無い」と「信じずにはいられない」は「人が生きる」という前提の前では同値なのかも。

「信じる」ということそのものは否応無しに「拠り所」なのではなかろうか?