奇跡的回復

しばらくこの時間帯のニュースは見なかったのだけど久々にニュース23を見たら福知山線の事故で意識不明の重態から少しずつ回復している女性の話が紹介されていた。


あの悲劇的な事故のしかも2両目に乗っていてという女性は内臓破裂の上、意識不明の重態で病院に搬送され生死の境を彷徨いながらも何とか命を取り留めたのだが、怪我はもちろんだが脳障害も残ったしまったという。
31歳の若さで突然、体の自由だけでなく表現の自由、思考の自由までもが奪われてしまうことのショックは相当な物だったと思う。
私の母も脳梗塞で一変に様々な自由を失い、今も回復することもなく介護は続いているが、それでも60代半ばまでは自由に生きてこられたのだからまだ彼女よりは幸せかもしれない。


障害を負った本人もそうだろうが、彼女の家族のショックもまた大きかったと思う。
最初は何とか助かって欲しいと思い,助かったら助かったで事故以前の姿とは全く違う娘の変わり果てた姿に戸惑いもあったに違いない。
若いだけに尚更だと思う。
時には事故以前の姿と今の姿が重なってどうしようもない怒りや無力感、娘の不憫さにさいなまれたことも一度や二度ではなかったはず。
言葉を投げかけても、以前のようにまともな答えが返ってこなかったり、
しなければいけないリハビリになかなか興味を向けてくれなかったり、
集中力が維持できなくて直ぐに投げ出そうとしてしまったりしたことも有ったろう。


脳に障害を受けると性格も変ってしまったり、様々な予想もしない反応に直面することもあったりして、これらを根気強く受け止めていかなければいけない。


そんな時、自分のしていることが凄く無駄に思えたり,思うような反応を返してくれない相手に苛立ちを覚えたり,苛立ちを覚える自分に嫌悪感を感じたり・・・この辺は奇麗事ではすまない。
私も,母を看護し始めた当初、そんな経験をしたから、そんなこともあったのではないかと勝手に想像する。
この女性が事故以来初めて自分から口を開こうとした時の彼女の母の感動を伝えていたが、私も母が本当に些細だけれども自発的な反応を返してくれた時に感じた「喜び」を思うとその気持を少しは想像することができる。
不幸の中にもそれを見ようと思えば小さな「喜び」はそこかしこにあるということは、私が介護を通じて実感したことでもある。
ご家族も根気強く介護なさっていて、この女性も前向きにリハビリに挑戦しているようで順調に回復に向かっているらしい。
私の母は歳も歳なので残念ながら回復に向かっているとはいえないが、若い彼女には時間は掛かっても根気強く彼女自身の自由を何としても取戻して欲しい。
心からそう願っています。