「切実」と「関心」

中東とアフリカ
どちらでより大規模な理不尽が発生しているかを考えれば、アフリカはより悲劇的だと思う。
内戦・争い・暴力の犠牲者を始め、エイズ等の感染・病気による犠牲者、栄養不足による子供の犠牲等様々な理不尽が蔓延していると思う。

今を切り取り「事実」だけを感情抜きに考え、優先順位をつけなければならないとしたら、よりアフリカが注目されるべきなのかもしれない。

しかし、中東とアフリカではなぜか「関心度」が違う。

アメリカが中東イラクフセインの暴虐に対しアフリカ紛争国で行われている暴虐以上の関心を示し戦争に踏み切ったこともそうならば、日本での報道に殆どアフリカのニュースが出てこないのも,私自身が「関心を待たねば」と思うことなしに自然に気にするのが難しいのもそうだ。

マスコミが情報を取り上げないとも言えるのかもしれないが、マスコミが取り上げないのは関心を持つ人が少ないからだとも言える。

これは私が何かしらのより「切実」に感じさせられる感性に左右されているのかもしれない。
日本に暮らす私たちにより影響を与えると感覚され、そしてそこから来る「切実さ」から自由でいられない。

このような関係は「中東」の問題と「北朝鮮」の問題にもあるだろうし、「北朝鮮」の問題と「飲酒運転による事故多発」の問題にも、「飲酒運転による事故多発」の問題と「私が今日フラれる事」の問題との間にもあるかもしれない。

その問題がいざ身近に現実化されたときの重大さ(切実さ)はたった今の「切実さ」などでは図る事はできないにも拘わらず,人の「関心」は先天的に今現在の「切実さ」に左右されやすく,「事実」には左右されにくい。

そのあたりの事はやはり、意識的に関心を振り向けていく事なしに自然発生的なものを期待する訳にもいかないよなと思う。