今が全て

「今を大事にする」ということと「今が全て」という事とは同義ではないと思う。
今と未来が継続しているか、分断されているかの違いがある。
私は前者を現実主義と呼び,後者を現在主義と呼び区別したくなる。
未来はいずれも不定ではあるけれども,前者は予見を前提として,後者は予見を前提としない。


もちろん、どちらの立場も取りうる。


ただ、状況や環境が悪くなるなどして、ある共同体の成員の多くが後者に傾き、その共同体自体が現在主義を帯びたときその集団は他から見てどのような性質を持つ集団になるだろう。


予見性を帯びない集団。
どのような行為を取るか分からない集団。
状況によりいかように行動しうる集団。


これはかなり不気味な集団になるのではないだろうか。


もし隣にこのような集団があったら,私は不安になり,警戒し,危険視するのではないかと思う。
未来を断絶した集団と共有できる前提は見つかりそうもないから。