非を争う競争原理

「お前らだって・・・」


っていうのは


「お前の言うことは違うよ」


とは違う。



大体前者の文脈は
「お前の言っていることは正しいのかもしれないけど正しくないのは俺だけじゃないだろう。」
って感じで


「非」への「許容度」に対して「不公平」を表明しているように思う。


概ね、両者とも「是」か「非」かの「前提となる価値観」は一応一致していているのだけれど、「非」をより多く押し付けられることへの異議申し立てであって、それは価値観の相違じゃない。


どちらがより「非」があるかの争いだ。
お互いの「非」の相対的な量の競い合い。


どうやら、競い合いにも「是」を争う競い合いもあれば「非」を争う競い合いもありそうだ。


例えば経済を云々する時に「競争原理」という言葉が良く使われるけど、これは「是」を争う競い合いを暗黙の「前提」としているように思える。
それが前提となっているから競争によって今よりもっと「是」が実現される事が期待されるのだと思う。


でも、周りを見渡すと「非を争う競い合い」が結構幅を利かせているようにも思える。
もし「非を争う競争原理」を前提としたら「経済」はどのように廻っていくのだろう。


たとえば
「非を隠蔽しているのは俺たちだけじゃない、俺たちの非はあいつらの非に比べたらまだましだ」
なんていう競い合いが密かに横行してはいないだろうか。
「綺麗事言うな」という台詞は「非を争う競争」で勝つ為の常套句ということになるのかもしれない。
このような競争に勝つ事に熱心な「経済」はどこへ向かって「発展」していくだろう。


「競争原理」が有効だとする所では,「綺麗事」こそが「競争原理」の前提なのでは・・・



ついでに言えば,今の政府も一所懸命「非を争う競争」を前提に、「是を争う競争」を前提にしている外に向け外交を仕掛けているように見えるのだけど・・・・・