今の「私の主観」

嫌悪感に鞭打って、総理について少しだけ擁護してみる。


以前「未納三兄弟」「菅代表の自爆」が話題になった頃、本館のエントリーで「菅代表、閣僚の首どちらも要らぬ
や、コレも本家の「私の主観」というエントリー(こちらは散漫に書いてあるので年金の記述の部分を一部引用)

年金問題で言うならば、国民への保険料UPのみが早々決められ、その一方でこれも特殊法人は放置、一元化問題も言及するだけで実際には先送りした経緯である。
先送りした期限が来る頃には恐らく任期切れ(正確には首相自身が1年後の辞任を表明している)を迎え、それに対し責任を問われるとも思えない。
過去を検証するのが苦手なこの国では、先送りされた難問の責任を押し付けられるのは「後任」であり、「後任者」は「前任者」の引き立て役にしかならない公算も高い(と私は今のところ思っている)

で年金について書いたことがあるのだけれど、すでにその頃に今の問題への遠因がはあったと思う。


これは、ただ一人現総理の問題ではなく、やはり選挙対策のために「先送り」を選択し、選挙後にそれを放置した前任者、そして永いこと政権の座を占めてきた与党「自民党」自身に負うところは大きいだろう。


さらに、新自由主義を大胆に推し進めてきた前首相の「問題山積の置き土産」が彼の理想に矛盾をきたすことになったのもただ彼(安部総理)一人の責任でもあるまい。


私は、現総理が前総理の後を引き継いだ時点で、今顕在化している問題もまた引き継ぐ事になる運命にあったと思っている。


最近、前首相を再評価する向きもあるようだが、彼が先送りした難問は彼の派手なパフォーマンス政治の負の側面であり、それは光と影の関係にあり、彼自身これに取り組もうなんてことは考えないだろう。
以前あった「おいしい実」は彼自身が既に全て摘んでしまったのだから。


食い散らかされた畑の中で、その残骸を取り除き、耕し、新しい木を植えなければいけない仕事は割に合う仕事ではない。
その意味で、現首相は貧乏くじを引いたなと思う。
しかも、その前任者と比較されるのだからたまったものではないだろう。


・・・・と今回は嫌悪感に鞭打って「今の『私の主観』」を書いてみたが、あまり変わらないか。(そりゃそうだよな)