偶然_科学

頭でっかちである私が決定論的な思考傾向にあったとき、不確定性原理という概念を知り、何かすくわれたような気がした。
科学自身が未来を一意に決定できないことを証明したからだ。
つまり、私自身の明日はなんら決定しておらず、私の個性は偶然により裏付けられ、その個性が決定したことはたとえそれが客観的には偶然に見えようとも、決定していないという事実が私にとってはそれを「意思」でると思い続ける事を可能にする様に思えたからだ。


今でも「偶然」のような概念が私にとってより大きな意味を持っていることは変わらないし、むしろ「偶然」をこれまで以上に普遍的・根本的なものとして考えるようになっている。


ただ、今は不確定性原理により証明された「偶然」は仮のもののように感じている。
とりあえず「偶然」が科学の中で存在できることは(私にとっては)好ましいことなのだけれども、(エキサイティングでロマンティックで、そして一方で残念なことに)やはり科学は解明のための新たな手段を手に入れ「不確定性原理で証明された偶然」を覆すだろうと思う。
覆した後に「偶然」がなくなるかというとそういうことではなく、「一意に決定」することは依然としてできないが「より一意に近い予測」を可能にするだろうと思う。
それは「粒子」によらず「波動」によらず、今はまだ人が持ちえぬ新たなパラダイムにより成し遂げられるのではないかと思う。
そのパラダイムが出現したときはけして「粒子」や「波動」が「間違え」であったということではなく、より広く世界を説明できる新たなパラダイムの「部分」でしかないという形でなされるのではないかと思う。
なぜそう考えるかといえば、まさにこれまでの科学がそうであったように思うし、そういうものが「科学」だという観念を持っているからなんだけど。