ブレとか一貫性とか

補正予算で給付金の問題が焦点になっているが、麻生総理は一貫してこの2兆円の給付金を頑固に主張している。
このような表現をすれば何やら立派に聞こえるけども、一体何に対して一貫性を保とうとしているのだろう。


野党が2兆円の給付金を切り離せば、法案を通すことに前向きであるいっても頑なにそれを拒んでいる。
そういえば、マスメディアが給付金のことばかりクローズアップするので、総理は補正予算案は給付金だけではなく、その他の予算案も含めて総括的に評価してほしいとの事を言っていたが、それならばなおさらのこと切り離してもかまわないだろうと思うのだけども、それじゃ納得しない様子。
理路に「一貫性」を持たせるならそのような結論になるとは思わないのだけど、なんだかよくわからない。


もともと、麻生総理自身が当初描いていた「給付金」の姿は今のようなものではなかったはず。
それを多くの国民は知っている。
思った事をつい口に出してしまう総理の言葉から嫌でも判ってしまう。
一律に給付するなんて事は念頭にはなかったのだ。
ただ、高所得者層と低所得者層を分けることがシステム的に(労力的にも金額的にも)コストがかかり、しかも誰をも納得させる線引きラインを設定することの難しさに直面して右往左往してしまったのである。
そういう当たり前の感覚が、当初から念頭になかったのであろう。
あったとしても「高額所得者が自ら辞退する」なんて事を本気で当てにしていたんだろうな。
それでも、すぐに実施していれば、それなりに効果はあったかもしれないが・・・その機も逸した。


当初に行われた世論調査の与党議員の引用も悪い。
「給付金をもらえたら嬉しいですか」なんて間抜けな設問で〜%の国民が給付金を歓迎している・・・なんて結論付けようとするのだから。
そりゃ貰えれば嬉しいが「でも」が続くのである。
数字にすればいいという頭でっかちが考えそうな「事態の定量化の最悪の例」だ。
前提となる大事な部分を捨象してしまっているのだから。
給付金が国民の支持を得ているという数字を出そうとしてのことだと思うが、なんでこんな見え透いた誘導をしようとするのだろう。


現在における給付金制度案は総理自身も納得してなどいない。
与党議員も納得してなどいない。
専門家による諮問機関も納得していない。
もちろん国民も野党も納得していない。
ただただ、首相や政権与党の「形式上の言葉の経緯の整合性」を保つためだけに行われている。
ここに見られる「後に引けない」構図は破滅に向かった戦中の指導者の思考形態を想起させる。
後手に回り、つじつまあわせのために事態を悪化させていく。


前回のエントリーの「誰も望まない望ましさ」であり、それを「頑固」に貫き通している姿は道化を思わせる。


総理・与党が保とうとしている「一貫性」は「メンツ」。
至極「私的」「プライベート」「ミクロ」なもの。
「公」を担い、マクロを見据えるべき総理がとるべき「一貫性」とはそのようなものではないはず。
一般国民のほうがよっぽど「私」を控えて「公」を憂い、切実な「ミクロ」に耐え「マクロ」に向き合っているのではないか。