バベルの塔

ちょっと寄り道。


5mmのつもりで5.01mmが現れればそれは誤差だ。
別の機会に同じように5mmのつもりで4.99が現れたとしたらそれはバラツキということになるだろう。


理論家は5mmを対象とし、技術者は5.01mmや4.99mmと格闘する。
そして、このバラツキにも現れ方がある。


どれが現れるかは不確定であるにもかかわらず、同じ条件でそれを繰り返せば「ある法則性」をもって現れ(例えば正規分布)、さらにその繰り返しが多ければ多いほどその法則性はより顕著になったりする。
そしてそれは確率として語られることになるだろう。
個々の現れ方は不確定にもかかわらず、全体(母集団)の現れ方には法則性が現れる。


そして、個々の不確定性を左右する要素を探求し、コントロールできるようになると
5mmのつもりで5.01mmが現れることは限りなく起こりにくくなり、その代わり5.0001mmが現れるようになる。


でも、バラツキがなくなるというのではない。
それは、別の機会に同じように5mmのつもりで4.9999mmが現れることになるからだ。
そこには5.01mmの誤差を生んでいたときと同様に、法則性を持って現れることも変わらない。
5.01mmを可能にする技術が5,0001mmを可能にする技術に変わるとき、そこには5.01mmのときには知られていなかった多くの未知が既知となりそれをコントロールすることが可能になっているだろう。


しかし、どこまでいってもバラツキがなくなることも無いし、バラツキがなくならないということはまだまだ多くの未知がそこにあるということである。
そのバラツキは5.01mmを5.0001mmのレベルに押し上げたときのように、さらに5.000001mmとすることは近い将来可能であろう。
そして、そのときもまた同様に「そのレベル」で立ち現れるバラツキに向き合うことになり、その構図は全くといっていいほど変わらない。


5.01mmのレベルを5.0001mmのレベルにした瞬間、それはきっと人にとって大きな意味を持つ。
しかし、その瞬間が過ぎ去れば、それはかつて5.01mmがそうであったようにそれはもはや凡庸でしかない。
その凡庸から抜け出すために、更なる挑戦を試み続ける。


もしこれが観念だけの事ならば単にその状態の繰り返し、それだけの話である。


しかし、現実の世界では5.000001mmのレベルは5.0001mmのレベルを前提とし、5.0001mmのレベルは5.01mmのレベルを前提としていて、たとえ観念的にはその構造の単なる繰り返しであっても個別・独立にその現象が移行していくだけというわけではなく、土台の上に土台を築く「積み重ね」の構造になっている。


5.0001mmのレベルが可能だからといって5.01mmのレベルが不要になるわけでは無い。
その必要不可欠な実に凡庸な5.01mmのレベルが確実に機能していなければ5.0001mmのレベルは維持することはできない。


唐突に思われるかもしれないが、このあたりのことを考え「進歩」に思いをはせるとなぜかいつも「バベルの塔」が頭に浮かんでくる。