概念の中にしか存在せず現実には存在しないもの

もし、私が長さ5mmの物体を作ろうとしても誤差を含まない5mmを実現することはどのような技術をもってしても不可能だろう。
恐らく、人が今後も生き延びることができて人の世界が続くなら、限りなく5mmに近づけることはできるだろうが、5mmそのものを作ることはできないだろう。


5mmぴったりなんてモノは未だかつて存在したことなど無いのだ。


仮に古代に1キュービットなんて単位があったとしても、その当時もやはり正確に1キュービットなるものが存在しえたとも思えない。


別に「尺」でもいいし、「間」でも「インチ」でもいい。
それがいつのものでも、どこのものでもいいのだがある単位を使って表現された長さをぴったり再現できるなどということは無い。


もし、唯一可能であるとしたならば「既にそこにあるもの」を(仮にその物体が膨張しようと振動しようとも)ある単位(仮に[d])で(例えば)1と呼び、そのものを指してそれは1[d]であるとすることぐらいだろう。


その意味では真実の5mmは概念としてはありえても、現実世界にその長さのモノは存在しない。


あくまで、5.01mmも5.0000000001mmも5mmではないので、「真偽」いずれかと問われれば、いずれも躊躇する必要も無く「偽」と答えるしかない。


でも、現実に5mmの長さが実現できなくとも5mmという概念は、5.01mmであることを可能にし、人に十分すぎるほどの意味や利便を与えてくれている。
さらに、5mmという概念があるからこそ5.01mmからさらに5.000001mmを実現することもできる。
もしかすると5.00000000000000001mmも5.000000000000000000000000000000001mmも現実に可能かもしれない。


真の5mmは概念の中にしかない、が、現実に存在しないことが現実の中で5mmという概念の意味をなんら否定することにはなっていない。


いかにも確からしいモノでさえそうなんだから、私達の周りにいくらでもある「概念の中でしか存在せず現実には存在しないもの」を、現実に存在しないことを理由に削除するわけには行かないだろう。