リアリスト(続き)

もし仮に、拝金主義イデオロギーが蔓延していて、それが格差の固定・拡大を生む蓋然性を感じるならば、「しょうがない」はさておき、まず感じていることは認めるしかない。
それが本来リアリストがとるべきスタンスというもの。
それが「現実」をただ現実として容認するだけの現実主義者とそれを契機として捕らえるリアリストの違いなのだろうと思う。
セーフティーネットはそれを認めた上で、それを契機として考慮して構築すればいい。


それでも、もちろんその現実というものはすぐには変わらない。
ガラガラポン」や「リセット」は無い。
ちょっとばかり(できる範疇で)「金さえあればとりあえずすべての問題は解決できる」という切実な誘惑に対し「自分を棚に上げ」「不正直」に関わりあっていけばいいのだと思う。(ちいさなリスクを負うということ)
この小さなやせ我慢が有るかないかの違いは馬鹿にならない。(有る意味これもモラルか)


ただ、これもまた国家政治主導で「金じゃないよ」なんてことをやってしまうと怖いことになろうから、国家政治はこれを(これはできそうも無いが)政治家個人が体現するか「可能にする環境」の整備だけを地道にすればいい。
そして、緊急を要する困窮者を「金が無くて大変だから」救済してあげる、のではなく、そう言いたくとももやせ我慢して「尊重すべき人」であるから当たり前のことして淡々と(環境整備、補助を問わず)救済していけばいい。(ついでに金持ちも寄付や財団を利用して社会に貢献しないとね)
こんなところで「今」現れているにすぎない現実に馬鹿正直な(それを鵜呑みにして失言を繰り返すような)政治家も篤志家も要らない。