美しい日本の難しさ

農相強気『実家は拠点』 領収書は公表せず またも閣僚、募る不信


故松岡前農相の後を受けた赤城農相の不明瞭な会計報告が問題になっている。
参議院選が近づいていることもあって安倍首相も一生懸命擁護しているようだが・・・
今の首相は「選挙」にとらわれすぎるあまり、それ以外のことが目に入らなくなってきているようだ。


「選挙」を仕切る幹事長のような役職ならまだしも、一国の首相がここまで「選挙」にどっぷり頭を突っ込む必要も無いと思うのだが。
何でもかんでも「自分が」という思いが強すぎるのではないのか?


疑惑をもたれても領収書も詳細も明らかにしないので、国民がこの問題を評価するには状況や報道で判断するしかない。
しかたがないので私も、推測で書かせて頂く。



両親も代表の元県議も団体事務所の所在地である実家で「活動していない」と口にした。
今日になって両親の証言は撤回されたようだが、
それを口にしたのが一人でないこと。
当初の発言が、何の前提・制約の無い状況での言葉であること。
親の心情。
これらを加味すれば、それはやはり「不自然」であり、当初口にした証言のほうが真実である蓋然性が高いと判断されても仕方が無いだろう。


おそらく、何の損得も考えず正直に思ったままを「つい」口にしてしまったのだろう。
正直も、素朴も美しさだとは思う。
ご両親としては、なんとか息子の立場を悪くしないようにしながらも、嘘はつきたくないという状況の中で何とか無難に対応しようと難儀したはずだ。


大事な近しい者をできるだけ庇おうとする気持ちも、そだけならば、それはそれで「美しさ」だとは思う。
それを貶めてしまう「状況」を作り出した農相のなんと親不孝なことかとも思う。
安倍総理の「擁護」が「そのようなこと」をご両親に強いる結果になることを安倍総理自身はどう感じるのだろう。


今の日本で「美しさ」が失われつつある状況というのはあるのかもしれない。
しかし、それはまさに安倍首相自身が「当然」と思っていること、「しかたがない」と思っていることの中にある。


「法的には問題が無い」とか「選挙のためには仕方が無い」とか、そのようなものの中にあるのではないのか?


人の「美しく無さ」は目に付くが、自らの「美しく無さ」にはなかなか気がつかない。


誰しも「美しさ」を求めつつも、それを一様に何らかの形式(法等)として強いることの難しさ(矛盾)は「そこ」にこそあるのだということにそろそろ気がついてもいいのではなかろうか?