整合性と辻褄合わせ

一度口にした事を引っ込めるのはなかなか難しい。
一貫性が無いというのは一般的には評価が低いし、時に責任も問われる。


「偉い」人は一貫性を保とうとする。


事実を上手く抽象できているときに生まれる整合性は確かに美しいと思う。




でも、辻褄合わせは厄介だ。
低い評価を受けたくない、責任を問われたくないという「動機」で事実を曲げてしまう。
順序が逆だと思う。
一貫性は現実の洗礼を受け、結果になったときに初めてその評価が現れ、その結果が事実に対して「整合的」だから、その能力が高く評価されるのであって、その力が無い人が「同じ言説を繰り返している」というだけの「一貫性」に魅力など無いと思う。


こんな「偉い」人が最近は多いのかなぁ。
偉い人の「形」だけ繕って「偉さ」を演出しているみたいな・・・。


偉い人に限らないけれど、過去と整合性をつけようとするあまり、間違いに間違いを重ねてにっちもさっちもいかなくなり破綻してしまうというようなニュースが多すぎやしないか。


こういった「偉い人」は一貫性の無い「普通の人」以上に迷惑だ。


これは,評価をする側にも原因があるんだろうなぁ。
「同じ言説を強弁している」そんな「形」「様式」に魅力を感じて「一貫性」をただそれだけで奉り過ぎたりする。
ある地位にいるというだけでその人を祭り上げてしまったりもする。


過度な「責任追及」というのも気になる。
「責任追及」は「手打ち」の為の帰属処理には必要だけど、「責任」の肥大化は隠蔽も生む。


能力の無い政治家や経営者を「政治や経営とは関係無い理由」で祭り上げ、過度な「責任」を押し付けているという事も在るのかもしれない