「多様」と「何でもあり」

多様というのは「何でもあり」ということとは違うよなと思う。
「何でもあり」というのは、むしろ多様性を均一化してしまうのではないだろうか。
新しいものが出てくると同時に、残るものもあるから多様になる。
残るものが残らなければそうならないし、新しいものへの余地もなければそうならない。
夫々が夫々の中で「何でもあり」じゃなく、「作法」「様式」が維持された別のものが夫々に並存する事じゃなかろうか。
別の領域に踏み込んでその在り方に「なんでもあり」を押し付けてもねぇ。
少なくとも対立的な「アンチ」ではないと思う。
アンチには「作法」も「様式」も無いから。
「何でもあり」は「何もない」とあまり変らないような気がする。
実は「多様」な社会はエントロピーが低くて、「何でもあり」な社会はエントロピーが高い
そんな風にも思う。