決議案(その後)

北朝鮮に対する国連決議案は、日本の報道と見る限り内容は軟化されたとは言え中国・ロシアが「決議案」という形で合意した事で日本にとっては「成功」だという評価に落ち着いているようだ。


当初「強硬論」が出され,その時点では
「もし、中国(ロシアは中国ほどではない)が北朝鮮を擁護すれば、国際正義と北朝鮮の代弁者としての立場の狭間で苦境に立たされる」
として今回の外交手腕を褒め称えたが、その後、中露が別案を提示し、北朝鮮の説得として決議が延期され、さらにそれを憂慮したフランスが2段階案を出したりとトーンが後退し、議長声明もしくは7条の削除で(当初の日本案から見れば)骨抜きにされた決議案に格下げ(梯子を外される)されるのではないかとの懸念が出てきた。
その際にはイラン問題の取引材料に使われたのではないかとの憶測も出たりした。


しかし、実際にはちょうど中露案と日本案との折衷のような形で「決議案」として合意に至った。
どちらにもある程度の面子を保つ事ができた案だったのではないかと思う。


確かに中国は北朝鮮関係においてはダメージを負ったかもしれないが、それ以上に米国や国際社会からの信頼を得たわけで、この騒動のドサクサの間に行われたインド,台湾のミサイル実験へのけん制にもなったのかもしれない。
全体としてはそれほど悪い決着ではなかったはず。


アメリカにとっては(イラン問題も含め)筋書き通りで、それこそほぼ満足の行く結果だったのではないだろうか?
中国・ロシアとの協調路線が取れた事はむしろ米国にとって好ましい事だったと思う。


当初より日本はアメリカと事前に充分すぎるほどの準備をしていたようでもあるし、恐らくアメリカが主導してその筋書きを練り、実際の役割をこの地域の当事者である(脅威をもっとも現実味を持って表明できる)日本が担ったという形なのだろうがアメリカからの「労い」と「賞賛」の言葉が日本の自尊心を満足させ「成功」だと認識させたような気がする。


一方で,同様にアメリカは中・露に対しても大きな賛辞を送り、その辺はそつが無く一枚も二枚も上手だ。


この一連の決議案でもっとも割りを食ったのは韓国政府だったのではないかと思う。
韓国は民族的、反米・反日的感情に引きずられすぎて、北朝鮮のミサイル発射問題に対する国際社会の関心を見誤ってしまったように思える。
韓国は感情的な同情・反発を意識しすぎるあまり全体を見失っていわば無視されたような立場になってしまった。
ただ同時に、そこには日本が中国に対して持つ感情の構図に通じるものもあり「他山の石」としなければいけないと思う。
今の日本にもやはり中国の「脅威」を意識しすぎるあまり、国際社会の何らかの枠(概念)をはみ出しかねない危険性も充分有るのではなかろうか?



決議がされたとはいえ、日本の安全がそれで保障されたということでは全くなく、北朝鮮に国際社会への復帰を「強く」促す「圧力」が成立しただけのこと。
各国の決議案履行の温度差もあるだろうし、この圧力に対して孤立した北朝鮮がどのような行動を起こすかも不確実・不安定。
もし政府やマスコミの言うように「何をしでかすか分からない」ならば、緊張という意味ではむしろ増しているわけで、今回の日本の外交の評価は今後の(地域の安定化に向けた)実質的な成果次第なのだと思う。


そこには当然決議案を巡って当初対立した中露、そして傷心の韓国との更なる協力体制、つまりは6ケ国協議の枠組みが今後も一層重要になるのだと思う。


まだまだ、浮かれている場合でもなければ、終った事のように安心して良いことではないはず。


ただ、この一連の出来事を心配するよりも別の意味で内心チャンスとして「喜んだ」立場の人もいるわけで,彼らにとっては緊張を緩和する事にはあまり関心は無いのかもしれないが・・・
北朝鮮も(色々な意味で)「余計な事」をしてくれたもんだ。