理想国家

優秀な軍事力を持ち、最高の諜報機関をもち、潜在的保有国であり、超大国との絆が強く、誇りも高く、不屈であり,団結力も強く、外交力もあり、先制攻撃も辞さず、リスク管理に優れ、敵愾心を持つ隣国に対してもけして妥協しない。


今、日本が置かれた環境・条件で,現在のような経緯で9条を放棄する事になったとしたら、その動機からみて国家の理想像はそのようなものに向う事になるような気がしてくる。


軍隊と名を変えても優秀(合理的で効率的で即時的)でなければ使い物にならない。
それが整えば、独自の情報を持てない事に不満を持たない(リスクとして観念しない)はずは無い。
軍隊があっても力による国際政治力を背景にするには抑止力としての「核」が如何に絶対的であるかを思い知る事にもなろう。
だからと言って、たとえ独自の軍事力を持とうとも世界に覇権を持つ超大国になれるわけではないので米国との関係を断ち切ることを妥当だと考える者もいまい。
ハードが整えば、国家を守る気概や愛国心を求めるところなどは日本人の気質を考えれば難しい事でもないし、既にその傾向も見られる。
とはいっても事を起こすに情勢に目ざとい冷静な外交力が無ければ世界全体を敵に回しかねない。
何か事が起きたりすれば先制攻撃の必要性を無視する事も当然のように許されまい。
偶然の衝突であろうともそれを無視するとなれば相手に屈する事になる。
そのための即時対応能力、リスク管理体制は不可欠と感じる事だろう。
好むと好まざるとに関わらず、その是非にも関わらず、現在の状況・環境で上記の事を達成しようとすれば「過去を持つとされる日本」に対する隣国の警戒心・敵愾心は今以上に高くなろうがだからと言って、「脅威」に対して弱みを見せるわけにも行くまい。


恐らく、これらは一つを達成すれば、今と同じように「切実」な達成すべき課題として次々に持ち上がってくるように思える。
「脅威」が「今」「切実」だから変えなければならないならば、過程においても「切実さ」からそのようにする事になるだろうと考えるのはそれほどおかしな推測では無いと思う。
いや、この過程で生み出される緊張により、「今の切実さ」以上の「切実さ」として現れる可能性が高いと見ても良いのではなかろうか?


「今」切実さに耐える事で「誇り」が傷つくようであれば、緊張の中で切実さに絶える事もまたそれ以上に「誇り」を傷つける事になるのではなかろうか?


日本人の言う「普通の国」は確かに「軍隊」を、ある国は「核」を、ある国は優れた「諜報機関」や「外交力」をすでに今現在のバランスの中で持っている。
そのバランスの中で「現在持っていない国」が持つようになるということは、ただ「現在持っている国」のようになるという事だけではすまないバランスの変化を伴なう事になる。
その変化は状況・環境にも大きな変化と緊張をもたらすだろうから、今の状況と同じような感覚で「切実」を捉える事は出来ないと思う。




今日本が直面していると言われる「脅威」に屈せずリスク備えるならば、どうしてもこの程度の「切実」は覚悟せねばならず、そこから逃れる事も出来ないように思えるがどうだろう。


もちろん、その前にいくら切実であったとしても一つ一つクリアーする事は経済的なことや米国の思惑も含め様々な困難に出会う事だろう。


しかし、できるかもしれない。



実際にそのような国もある。
今中東で近隣に友好国を持たず、超大国のバックアップの元、四面楚歌の中で奮闘している国。


とはいっても、その存在も世界(特にアメリカに)に張り巡らされた国外のネットワーク抜きには語る事は出来ないとは思うが・・・


現状を「切実」だと思うならば、その都度出現する現実も「切実」に思うだろうと考えるのは私の単なる憶測に過ぎないのだけれども、実際のところどうなのだろうか?


それとも「脅威」「緊張」が大きくなったその時は逆に「切実さに耐える事」が出来てしまうのだろうか?


北朝鮮ミサイル問題を出すまでも無く「切実」は私にも感覚としては判るのだが、そこから先をどう考えているか、そのあたりが良くわからない。