言葉の変遷

『「迷惑」という言葉がやけに「迷惑」に感じるようになってきた。』
という事もないのだが、こんな言い方(使われ方)がもっともらしく感じられるようにはなった気がする。




そのうち、
「貴方(の存在・行為)が私には迷惑」
になり
「私(の存在・行為)が貴方には迷惑」
と言う事をわきまえなければならなくなりそう。


さらにこれは


「私以外(の存在・行為)は私には迷惑」
になり
「貴方以外(の存在・行為)は貴方には迷惑」
と言う事を考慮しなくてはならなくなりそう。


「私は私(の存在・行為)以外を信用しませんよ」という「不信」の表明なのかなぁとも思う。


実際には「私」は「私たち」、「貴方」は「貴方たち」に置き変えられて使われる事になるとは思うが...


共同体を成すはずの「人と人との係わり合い」を離れ、各々が想定する各々に都合のいい「共同体」の「一般性」と直接取引きをはじめたような感じ。


「迷惑」はどちらかというと共同体の作法として、利己主義を戒め互いを思いやるというところにあったように思うが、今向っている「迷惑」の使われ方の変化の向かう先は、かつての「利己主義」といわれた物をフォローする物言いに変わりつつあるような...


最近は「迷惑」という言葉を使うのに躊躇がある。


それもまた結構「不便」であるというMEMO。