弱肉強食



よく社会の力関係を指して弱肉強食という言葉が使われる。
強いものが弱いものを支配すると言う事や強いもののみが生き抜くという事を言いたいのかもしれない。
自然の世界がそうなっているのだからそれが自然で当然のあり方のように。


自然を語るならば自然は「足ることを知っている」ということも同様に語っても良いように思う。
循環している連鎖であることも語っても良いように思う。
どの種も支配などしていないことも語っていいように思う。
多くの場合共存していることも語っていいように思う。


あまり当然としてその概念を受け入れなければならないようにも思えないのだが...
むしろ、同じ種で互いに殺しあう「人」に限定してその「特殊性」を語るには都合の良い言葉かもしれないが...
かといって人に限定しても、過去においてそのような概念に浸されていた期間は普遍的に連続していたのかどうか。
歴史の中でそれを思わせることを繰り返しているのは良くわかるが、歴史に刻まれるのは何かしらの特異な出来事があった点であって、その間の綴られない点と点の間の「線」においてもそれが常態であったのだろうかとの疑問もある。


それほど堅固な概念なのだろうか。
多次元の中のごく限られた領域の中で単に堅固だと信じているから堅固なだけだったりすることはないのだろうか?


再現性があるから信じているのか、信じてしまっているから再現されるのか。


そんなことを考える。