整合性あるいはバランス

"村上ファンド、国内廃業・日本の規制対象外に"
投資とかファンドとか全く詳しくはないのだけれど、経済至上主義のグローバリズムに身をゆだねるものには国家は関係無いということではなかろうか?
こういうことがあるから逆に外からこういう人々(資金)を引き入れる為に
http://www.asahi.com/politics/update/0510/008.html
なんて法律改正も起こるのだろうけれど。


素人の私から見ると、一方で彼らのようなモンスターを生み出す政策を推進し、一方で愛国心、国民監視を強めるという政策に邁進する政府のどこに整合性を見出したらいいのかとっても理解できない。


いくら、教育基本法で「愛国心」を植え付けたって、日本のこの「愛国心」はアメリカのように「自由」や「民主主義」といった共同体が共有する「理念」に対する忠誠心を想定しているわけではないのだから、日本ではアメリカのように「愛国心」と「グローバリズム」の整合性をそのままでは実現することはできまい。


教育基本法などで「愛国心」を求める人々は、恐らく今回の「村上ファンド」のような選択には眉をひそめるのではないかと思う。


せっかく法律にまで謳って学校で教えられた「愛国心」が「社会」に出た途端に、それが現実を前にして「陳腐」なものでしかないと分かれば躊躇無く捨てるばかりでなく「愛国心」は疑義の対象でしかなくなりかねない。
いや、社会に出る前に現実に常に接している家族からその「陳腐」さを既に嗅ぎ取ってしまうかもしれない。


アメリカ人には「愛国心」があるからといって、それを「国際標準」と言い換え、そのまま日本に持ち込んでも「愛国心」という言葉は同じでもその中身は違うのであって、何でもWASPのまねをすればいいというものでもあるまい。


現実世界で「整合性」を取るのが難しいにしてもせめて「バランス」ぐらいは取ってもらいたい。
でなければ秩序も何もあったものではない。