個人情報保護法案の現実に見る悪法のシナリオ

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この法により様々な弊害が表面化してきているようだ。


個人情報を保護すると言うことをプライバシーというレイヤーで見れば何ら否定する要素は無い。
法律が成立する時には大抵何らかの問題があり、その問題が関心を集め、関心を集めたレイヤーにどうしても目を奪われる。
その問題が切実であればあるほど、そうである。
しかし、現実世界では1つのアクションの影響が1つのレイヤーにとどまる事はありえず、それに関わる他のレイヤーに必ず何らかの影響を与える。


結果としてマジョリティーにとって当初期待したレイヤーでの成果よりも他のレイヤーで引起される期待しない影響(負の成果)が大きければそれは民主主義的には「悪法」と言ってもいいだろう。


誰もが最初から「悪法」であると知りながらできる悪法などは殆ど無いと思う。
その問題が切実であればあるほど「悪法」である可能性を予期する人はマイノリティーだと思う。
そのマイノリティーの中にもいろいろあって、関心を集めたレイヤーで期待される成果とは関係無いレイヤーで起こりうる(マジョリティーが無関心な)結果を危惧するものも居れば、逆に密かにそれを望むものも居る。
民主主義は議論を尽くして最終的にはマジョリティーに従う制度である以上、前者はその「議論を尽くす」ことに寄与しそうだが、後者は確信犯的であり、マジョリティーに対して少なくとも民主主義的誠実さは見られない。


前者に耳を傾け、後者に警戒する事が求められるのに、関心と切実さから前者を罵り、関心と切実さからそれを煽る後者に乗せられてしまえば「悪法」がのさばるのも無理は無い。


今も様々な法案が出され次々に他のレイヤーが論議される事無く可決されていく。
関心と切実さから少しばかり距離をおいた広い視野と冷静さが必要だと思う。