「そうありたい」

私は大抵、心の中に何かしらの「そうありたい」を持ちながら書いていると思う。
書いてある内容が「そうである」であるとしても、それを選択的に書く事で「そうありたい」と言う主観を暗に表現したいのだと思う。
「〜かもしれない」とか「〜といことはないだろうか」と言った時は、「そうありたいんじゃないかな」と言う事をきっと表現したいのだろう。
「そうありたい」ということは今はまだ「そうでない」ということであって、「そうでない」から「そうありたい」と思っていると考える方が自然だろう。
だから今の自分のあり方・環境とエントリーの内容とが完全に一致していることは無いはず。
その意味ではいつでも自己矛盾であるといえば自己矛盾である。
「そうありたくない」というものもあるかもしれないが、それも単に「そうありたい」の裏返しでしかないので自己矛盾を含むことに違いは無い。


何かを書こうと思った時点ですでに「そうありたい」が内在している。
もし、私が他人の「そうありたい」を見て「そうである」でいいじゃないかと書きたくなったとしたら、そういうものが無い状態を「そうありたい」と願っているのだろう。
だって「そうである」だけで満足ならば、語る(書く)必要のある事などは一つも無いだろうし...


簡単に言えば「理想」の話なんだけど「理想」という言葉では、もうそれだけで誰も読んでくれそうもないのでこんな表現を試してみた。