調和・和



http://d.hatena.ne.jp/swan_slab/20060414/p3


このswan_slabさんのエントリーに書かれている事は法律について素人の私にはなかなか理解にしにくいことなのだけれども、それでも考えさせられる。


正直言えば私は基本的には「和」や「調和」が嫌いではない。
でも、それを型で押し付けられるのは好きではない。
でもでも、伝統にある型は美しいと思う事もある。
何ともわがままである。
夫々が皆私の中ではウソではないと思う。


このような感覚的なものというのは人に伝えたり、同じである事を望もうとしても言葉にできない。
概念となって前提を定めて切り取ったものではないので、述べる事は出来ても直接その実態に触れて語り合う事が出来ない。
何かのような物とか、こんな感じとか言って述べる事は出来ても、何々であるとしてしまうとそのように発言した瞬間に別の物になってしまうように思う。
概念は人が作るものだが、感じる事は世界からの直接的なあるがままの生ものであって、翻訳がされてるわけではない。
翻訳がされていてもそのものではない。
音や色の調和を周波数で語ることや、なぜそこに人が反応するのかを器官の仕組みで語ることが出来てもそれが求められる解答であるとも思えない。
そもそもこれは芸術の分野なのかもしれない。