一貫性

働く物として仕事をしていて困るのは一貫性の無い指示であったりする。
迷ってしまうからだ。
あるときはこう言ったのに、あるときは別のことを言うといった具合に。


例えばこんなのはどうだろう

慌てて失敗しそうな部下を見て
「急(せ)いては事を仕損ずる」
のような事を言ったかと思えば別のsceneでは躊躇している部下を見て
「善は急げ」
といって尻をたたく。

もしその部下が同じ人物であればなおさら彼を惑わせてしまうかもしれない。
意味だけを捉えれば「急ぐ事はよくない」と「急ぐ事がよい」という相反するアドバイスだ。
これは一つのレイヤーだけで見た場合にはそうである。


言う方の立場から言えばこれはケース・バイ・ケース
「慌てて失敗しそうな部下」という状況があるから「急ぐな」であり、「のんびりしていて機を逃しそうな部下」という状況があるから「急げ」なのである。
ここには(例えば)「混乱」という別のレイヤーにある「慌てたときに人は混乱し易い」というそのレイヤーでの正解や「行動」というレイヤーの正解といったようなものが状況による軽重で加味されていてより重層的である。(あまり適切なレイヤー例ではないけど)


この場合、「慌てて失敗しそうな部下」という状況では常に「急ぐな」が発せられ、「のんびりしていて機を逃しそうな部下」という状況では常に「急げ」が発せられるならばやはりここには重層的なレイヤーの関係性の中にあっても一貫性が保たれているといってもいいと思う。
逆に、状況と発せられる言動に脈略が無ければ一貫性が無いともいえるかもしれない。


しかし、さらに重層的な状況を加味すれば部下の理解(経験)度合いも加味する事があるかもしれない。
一見すると、状況と発せられる言動に脈略が無いように見えても、部下の経験(理解)の度合いで言い分けているのかもしれない。
一つのレイヤーでしかまだ物事を見ることのできない新入社員に状況によって違うアドバイスをしてみても
「急ぐなといったり急げといったりどっちなんだ」
としか受け取られないかもしれない。
それならば彼に対しては「急げ」という一貫した指示に統一し、失敗するリスクがあろうとも、その失敗を通じて仕事のやり方は一つではなく状況により代わる事もあるということを経験し身に付けることを願うかもしれない。
これも経験の浅い者には常に同じ指示をし、逆に経験のある物には常に状況依存の指示をしていればそこには一貫性があるといえるかもしれない。(もしかすると社員の性格もそこに付け加えるかもしれない。)


このような加味されるレイヤーの幅が広く、その軽重・位置付けが的確(つまりより再現性を有する)ならばそれはきっとより世界のあり方に近いと言う事だろう。
そして、結果にも良く現れ、その事を以って「より世界のあり方に近い」事が確認されるはずだ。


一貫性というのも形式的なものではなく「世界のあり方」の理解によって全く違った見方が出来るのではないかと思う。(ケースバイケースというのはそれが適切ならば混沌であるように見えながら実際には秩序なのだと思う)