ミクロマクロ_その5

ここでいうミクロは「私」[private] マクロは「公」[public]に関係するのだろうけれども、それは関係性であって、具体的に公とは何かとか私とはなにかという問いとは距離を置いた所にある様に思う。
会社で会社全体の利益に利することを公、反することを「私」として「公私混同するな」のように使われるたりもするが、同時に会社はより大きな関係性から見れば「私」にすぎない。
「private」と[public]が具体的に市民と国家に限定されるならば、それも、ミクロマクロの関係性の実用的な特殊形にすぎない。
「関係性」は人が何か「具体的」行動を起こすときの「具体的」な指針なんてものは何も示されない。
「関係性」は考慮されるものであっても「答え」ではないから・・・。
実際に行動を起こすときには「答え」は「良心」に基づいて間違うリスクを負いつつ自分で見つけるしかないのかもしれない。
このようなことを言ってみたところで、表面上それは「ためらい」とか「躊躇」「忍耐」という形でしか現れようもないかもしれないので「何も言っていないのと同じ」というミクロな感覚もあるが、マクロには即時的ではない経時的な結果にきっと差が出るだろうと思う。